肉の食い方
- 2014/11/04
- 04:44
どうも。
あじです。
好きな食べ物の話はちらほらとしているのだけれど、
人数がいるとその分、好きなものが偏ってしまう。
何食べる?何でもいいよー。
一番困る返答。
特に私は優柔不断だから、決めることはできない。
そんな時、だれかが大体「焼肉食べたい!」って言ってくれる。
だれも言わないときは私が「焼肉食べたい!」って言ってみる。
すると大体、「いいね!」って返ってくる。
Facebookの何となく知り合いだからいいね!しておこう的な、もはや反射に近い「いいね!」である。
おかげで賛同が得られ、すんなりと焼肉に決まることがある。
焼肉は値段こそ高くつくものの、賛同を得られやすいという点でいえばかなり便利である。
それに、もちろん肉を食べることになるので、うまい。
今宵も、晩御飯を会社の方たちと食べることになったわけだが、
メンバー全員が優柔不断なのか、気を遣っているのか、誰も具体的な希望案がでてこない。
これは私の出番。「焼肉食べたい!」の発動である。
すぐに出る賛同。
いざ向かう即行。
この味は絶頂。
謎の韻を踏んで気分を伝えるものの、よくわからないものになってしまった。
黒歴史が一つ増えた。
皆さんも食事に迷ったら「焼肉食べたい!」を使ってみてはいかが。
万が一、賛同を得られない場合も「私は○○の気分かな」、「私は○○かなー」と会話が弾むので問題はなし。
あくまで大事なのは食事を決めるためのプロセスを円滑にすることである。
焼肉コミュニケーションで君もワンランク上のリア充になろう。
また、余談であるが、先にあげたFacebookの何となくいいねは悪い風潮であると思う。
友達だから先輩だからといって、接待のつもりでいいねを押してしまうと、
いずれ本当にいいものに出逢ったとき、いいねだけでは足りなくなってしまう。
普通のどうでもいいことをいいねにすると、良いものは何になるのか。
Facebookにはめちゃくちゃいいねのボタンはないのだ。
なので、普通の内容で特に感動を覚えないならいいねを押すのをやめてほしい。
私はそうして、コメントもいいねも押さない生活を送ってきたら、いつのまにか自分のアカウントに関してもいいねを押されなくなってしまった。
そのため、私と同じような内容を書いた人のいいねが15-20件に対して、
私は0-2件である。
原因はふたつ。
ひとつは、実際にはいいねと思うような内容でなかったこと。
ふたつは、ただただ私自身がよくないこと。
相まって私のFacebookはほぼほぼ独り言専用になってしまった。
そのため、いつしか更新することをやめてしまった。
これがいい歳こいた大人のひねくれである。
またひとつ悲しみを背負ったあじでした。
あじです。
好きな食べ物の話はちらほらとしているのだけれど、
人数がいるとその分、好きなものが偏ってしまう。
何食べる?何でもいいよー。
一番困る返答。
特に私は優柔不断だから、決めることはできない。
そんな時、だれかが大体「焼肉食べたい!」って言ってくれる。
だれも言わないときは私が「焼肉食べたい!」って言ってみる。
すると大体、「いいね!」って返ってくる。
Facebookの何となく知り合いだからいいね!しておこう的な、もはや反射に近い「いいね!」である。
おかげで賛同が得られ、すんなりと焼肉に決まることがある。
焼肉は値段こそ高くつくものの、賛同を得られやすいという点でいえばかなり便利である。
それに、もちろん肉を食べることになるので、うまい。
今宵も、晩御飯を会社の方たちと食べることになったわけだが、
メンバー全員が優柔不断なのか、気を遣っているのか、誰も具体的な希望案がでてこない。
これは私の出番。「焼肉食べたい!」の発動である。
すぐに出る賛同。
いざ向かう即行。
この味は絶頂。
謎の韻を踏んで気分を伝えるものの、よくわからないものになってしまった。
黒歴史が一つ増えた。
皆さんも食事に迷ったら「焼肉食べたい!」を使ってみてはいかが。
万が一、賛同を得られない場合も「私は○○の気分かな」、「私は○○かなー」と会話が弾むので問題はなし。
あくまで大事なのは食事を決めるためのプロセスを円滑にすることである。
焼肉コミュニケーションで君もワンランク上のリア充になろう。
また、余談であるが、先にあげたFacebookの何となくいいねは悪い風潮であると思う。
友達だから先輩だからといって、接待のつもりでいいねを押してしまうと、
いずれ本当にいいものに出逢ったとき、いいねだけでは足りなくなってしまう。
普通のどうでもいいことをいいねにすると、良いものは何になるのか。
Facebookにはめちゃくちゃいいねのボタンはないのだ。
なので、普通の内容で特に感動を覚えないならいいねを押すのをやめてほしい。
私はそうして、コメントもいいねも押さない生活を送ってきたら、いつのまにか自分のアカウントに関してもいいねを押されなくなってしまった。
そのため、私と同じような内容を書いた人のいいねが15-20件に対して、
私は0-2件である。
原因はふたつ。
ひとつは、実際にはいいねと思うような内容でなかったこと。
ふたつは、ただただ私自身がよくないこと。
相まって私のFacebookはほぼほぼ独り言専用になってしまった。
そのため、いつしか更新することをやめてしまった。
これがいい歳こいた大人のひねくれである。
またひとつ悲しみを背負ったあじでした。