漫画の楽しみ方をお前らに教えてやるぜッ!!
- 2015/01/19
- 23:35
どうも。ぷにちんです。
タイトルから調子に乗ってすいません。・・・反省はしておりません。
毎度毎度突然ですが、皆さん漫画って読みますか?
男性陣の小さい頃はそれは皆さん狂ったように漫画を読んでいたと思います。
ドラゴンボールにスラムダンク、幽遊白書・・・。とジャンプだけでも名作が溢れていました。
やれ誰が最強だ、やれあいつは本当は良いヤツでこのあと味方になるとか、学校で熱く議論したと思います。
そんな皆さんも大人になるにつれて、多くの方は漫画と無縁の日常を送る事になると思うんですよ。
しかし僅かかもしれませんが、大人になっても漫画と決別出来ない人もいると思うんです。
はい、ぷにちんもそうです。
最近色々な漫画を読む機会に恵まれて幸せだなぁ~と思う反面、何か物足りないのです。
小さい頃感じていた、あの壮大なストーリー。
しかし今、完結しているストーリーを全巻バーっと読むと、
「あれ?こんなに短かったっけ?」拍子抜けしてしまうほどです。
この前、 ”るろうに剣心” を読んだのですが、今読むと正直それ程面白いと思えませんでした。
ぷにちんが中学生の頃、週刊少年ジャンプでは丁度るろうに剣心でも一番人気のあるエピソード。
志々雄誠編が連載しておりまして、最強の集団 「十本刀」と戦うエピソードを毎週楽しみにしてました。
けど今読むと違うんです。
大人になって感性が変わった・・・。勿論そういった理由も大きくあるとは思うんです。
だけどそれだけでは説明できない、モヤモヤした物が払拭できないのです。
ぷにちんは必死に考えました。
仕事に集中せずに来る日も来る日も、頭の中は漫画の事で一杯です。
そして2つの事実に辿り着いたのです。
この理論はあくまでもぷにちん主観ですが、共感して頂ける方もいるのではないのではないかと思います。
理由① 1話に対する重み。
これはどういう事かと言いますと漫画は週刊ですと毎週、雑誌で1話のエピソードが発表されます。
例えば週刊少年ジャンプ。
月曜日には学校帰りにジャンプを買って、宿題なんてそっちのけで漫画を読みます。
ぷにちんは貧乏性なので、ジャンプに掲載している漫画を全て読んでいました。
表紙から順番に全ての漫画を読んでいき、裏表紙の作者のコメントまで読んだら一回終わり。
漫画というのは極上のフルコース料理の様なものです。
最上の一品を18ページの1話で提供しつつ、翌週にはそれを上回る感動を常に届け続けるのです。
興奮が冷めやらぬまま、好きな漫画をもう一度読みます。
好きな漫画に関してはコマ割りから、セリフまで覚えるほど何度も読み返します。
これを翌週のジャンプが発売するまで繰り返すのです。
恐らく1話のエピソードを20回以上読んでいたと思います。
そして空想するのです。
来週はどうなるのだろうか?
こんな強敵に勝てるのだろうか?
もしかしたらアイツが助けに来るかもしれない・・・。
こんな風にたった18ページのエピソードが無限大に頭の中で拡がっていくのです。
しかし今はストーリーの完結まで用意されたエピソードをただ駆け足で辿るだけ。
それはもう完成したジグソーパズルのようなものです。
ジグソーパズルって完成した絵がどんなに素晴らしいかって、余り重要ではないと思うんです。
1ピースずつ向き合って、そのピースの端にある赤い色がどのピースとくっつくのか?
というのを必死で考えるのが楽しいと思うんです。
そういう意味で大人買い、などで読む漫画がつまらないのは当然だと思うんです。
決してるろうに剣心が面白くなくなったわけでは無く、
ぷにちんがそういった想像の余地を無くして、ただストーリーを辿っているだけなので
あの時の感動が無く、淡白に感じてしまうのです。
これが理由①です。
そして次に上げるのが、最も重要なことかもしれません。
理由② 熱く語り合える友の存在。
これは言うまでもない事かもしれません。
冒頭でも書いた様に、皆小さい頃は漫画について熱く語ったはずです。
ぷにちんはジョジョの奇妙な冒険。という漫画が大好きです。
正直ジョジョに関してはキチガイ、と言われる程に好きで知識もかなり深いと自他ともに認められております。
今ではゲームやメディア、そしてアニメまで作成されて一般認知度も非常に高い作品ですが
当時は
「絵が気持ち悪い・・・。」
などと言われて中々受け入れられなかったです。
当時ジョジョが好き、と言うのは少し異端・・・という空気がありました。
10年位前ですが、実際ぷにちんの出会った人の中にもジョジョが好きって言うと皆引いてしまう。
といった理由で隠していた人もいるほどです。
今ぷにちんが感じるのはその 温度差 です。
ジョジョが皆にも認知され、ジョジョ好きの人が増えてくれるのは大変嬉しいことです。
そしてよく出会うのが、ジョジョ好きの人たちです。
彼らと話すと、有名なエピソードやセリフに関してはある程度話せるのですが、
少しだけ込み入った話になると、会話が成り立たないのです。
そうしたやり取りをする内にぷにちんはジョジョの話を余りしなくなりました。
だって全然物足りないんだもん。
例えばアナタがサッカー大好きだとして、サッカー好き同士で話す機会があって
2002年のワールドカップについて話そうとしたら、相手が本田とベッカムしか知らなかったら会話にならないでしょ?
そんな気分ですよ。
神砂嵐は知ってても、マルクもエア・サプレーナ島もブルりんも分かってくれないんですもん。
しまいには各部の主人公の名前すらうろ覚えなのに、ジョジョ好きです。
とか言われた日にはホッペにフォークをブッ刺して 「この…… ド低能がァーーッ!」と怒鳴りたくもなりますよ。
すいません・・・。熱くなってしまいました。
何が言いたいかと申しますと、本当に熱く話せる友達が居ないと楽しさも半減なのです。
それは一人で食べる料理と一緒です。
もちろん料理は美味しいですし、満足ですが心が満たされないのです。
先日昔からの付き合いの友達と数人で集まる機会がございまして
一緒に食事をしたのですが、大人になっても話すことは子供の頃と変わりません。
やれ漫画がどうとかゲームがどうとか戦車の歴史とかそんな事をいい年した大人が延々語るのです。
その時も話しましたジョジョの事。
彼らは訓練されたジョジョの知識を持っている方々なので、そこら辺にいるジョジョ好きとは一線を画します。
何故ならぷにちんが出すマニアックなジョジョ問答で鍛えられているからです。
その時の話題はスタンド考察です。
今更説明するまでもないかもしれませんが
スタンドとはジョジョ第3部から出てくる各々が持っている特殊能力の様なものです。
炎を操ったり、騎士の様な姿をしていたり、時を止めたりとその能力は様々で、
能力が分からない相手と毎回、激闘を繰り広げるのです。
そんな時に議論に上がったのが
炎を操るアブドゥルのマジシャンズレッドと氷を操るペットショップ、またはホワイトアルバムはどちらが強いかです。
炎を操るといってもその火力は凄まじいもので、牢屋に使われている鉄棒を
超至近距離から投げられても、届く前に空中で溶かす程です。
そして氷を操る、というと語弊があるのですが超低温を作り上げるホワイトアルバム。
その威力は空気を瞬時に凍らせて固体にするほどです。
直接その能力を叩き込まれたならば、一瞬で凍りつき人間なら砕け散るほどです。
そして本題ですが、この二人がその能力をぶつけあったらどうなるのか?ということです。
ここで議論を始めるに当たって避けては通れないルールがございます。
そうです。熱量保存の法則です。
高温の物体Aと低温の物体Bを接触させたとき、
熱が外部に逃げなければ、Aが失う熱量と、Bが得た熱量は等しく, A,B全体としての熱量の増減はない。
AとBの温度が等しくなって、熱の移動がなくなったとき、 AとBは熱平衡にあるという。
簡単に書くとこんな感じ。
アブドゥルの火力を2000℃と仮定し、ホワイトアルバムの冷気限界は絶対零度の −273.15 ℃と考えます。
そうしたら同レベルの熱エネルギーを発するならアブドゥルの勝ちです。
しかしここで大事なのがスタンドパワーです。
アブドゥルのパワーが1に対してホワイトアルバムのパワーが10なら
アブドゥル 2000℃ ×1 = 2000 エネルギー。
ホワイトアルバム −273.15 ℃×10 =−2731.5 エネルギー。
で731.5エネルギー分ホワイトアルバムの冷気が勝つこととなります。
しかしホワイトアルバムの能力は物体に作用しているのに対して、
アブドゥルの炎は一般人に見えていない描写もあったので、(※)
アブドゥルの熱はスタンドパワーを具現化しているもので純粋な熱量で考えてよいのか?
などの疑問も残ります。
※ アブドゥルの炎の描写に関しては一般人に見えていない時と見えている時があり真偽不明です。
こういった議論をご飯を食べながらいい年した大人が延々繰り広げるのです。
正直答えはどっちでも良いのです。
だってこういった話を出来る事が重要なんですもん。
ぷにちん、ジョジョに関して久々に深く話せる機会があり、生きていることを実感しましたよ。
それはそれは夢の様なひと時でした。
かなり本筋から話が逸れてしまいました・・・。今回のブログで書きたかった事をまとめますと、
漫画の楽しみはそのストーリーを追う事では無く、
そこにあるかも知れない、またはあり得たかも知れない事象を ”空想” することだと思うのです。
漫画という作者の空想から生まれた世界を、読者が更に空想する。
それこそが漫画の本当の楽しみではないか?という真実に仕事中に到達したのです。
こんな事ばっか考えているから、ミスして怒られるんですよね。
というかこんな自分を置いてくれる寛大な会社に感謝しなければなりません。
出来る事なら空想の世界で生きて行けたならば・・・と現実から目を背けたぷにちんの心の声でした。
タイトルから調子に乗ってすいません。・・・反省はしておりません。
毎度毎度突然ですが、皆さん漫画って読みますか?
男性陣の小さい頃はそれは皆さん狂ったように漫画を読んでいたと思います。
ドラゴンボールにスラムダンク、幽遊白書・・・。とジャンプだけでも名作が溢れていました。
やれ誰が最強だ、やれあいつは本当は良いヤツでこのあと味方になるとか、学校で熱く議論したと思います。
そんな皆さんも大人になるにつれて、多くの方は漫画と無縁の日常を送る事になると思うんですよ。
しかし僅かかもしれませんが、大人になっても漫画と決別出来ない人もいると思うんです。
はい、ぷにちんもそうです。
最近色々な漫画を読む機会に恵まれて幸せだなぁ~と思う反面、何か物足りないのです。
小さい頃感じていた、あの壮大なストーリー。
しかし今、完結しているストーリーを全巻バーっと読むと、
「あれ?こんなに短かったっけ?」拍子抜けしてしまうほどです。
この前、 ”るろうに剣心” を読んだのですが、今読むと正直それ程面白いと思えませんでした。
ぷにちんが中学生の頃、週刊少年ジャンプでは丁度るろうに剣心でも一番人気のあるエピソード。
志々雄誠編が連載しておりまして、最強の集団 「十本刀」と戦うエピソードを毎週楽しみにしてました。
けど今読むと違うんです。
大人になって感性が変わった・・・。勿論そういった理由も大きくあるとは思うんです。
だけどそれだけでは説明できない、モヤモヤした物が払拭できないのです。
ぷにちんは必死に考えました。
仕事に集中せずに来る日も来る日も、頭の中は漫画の事で一杯です。
そして2つの事実に辿り着いたのです。
この理論はあくまでもぷにちん主観ですが、共感して頂ける方もいるのではないのではないかと思います。
理由① 1話に対する重み。
これはどういう事かと言いますと漫画は週刊ですと毎週、雑誌で1話のエピソードが発表されます。
例えば週刊少年ジャンプ。
月曜日には学校帰りにジャンプを買って、宿題なんてそっちのけで漫画を読みます。
ぷにちんは貧乏性なので、ジャンプに掲載している漫画を全て読んでいました。
表紙から順番に全ての漫画を読んでいき、裏表紙の作者のコメントまで読んだら一回終わり。
漫画というのは極上のフルコース料理の様なものです。
最上の一品を18ページの1話で提供しつつ、翌週にはそれを上回る感動を常に届け続けるのです。
興奮が冷めやらぬまま、好きな漫画をもう一度読みます。
好きな漫画に関してはコマ割りから、セリフまで覚えるほど何度も読み返します。
これを翌週のジャンプが発売するまで繰り返すのです。
恐らく1話のエピソードを20回以上読んでいたと思います。
そして空想するのです。
来週はどうなるのだろうか?
こんな強敵に勝てるのだろうか?
もしかしたらアイツが助けに来るかもしれない・・・。
こんな風にたった18ページのエピソードが無限大に頭の中で拡がっていくのです。
しかし今はストーリーの完結まで用意されたエピソードをただ駆け足で辿るだけ。
それはもう完成したジグソーパズルのようなものです。
ジグソーパズルって完成した絵がどんなに素晴らしいかって、余り重要ではないと思うんです。
1ピースずつ向き合って、そのピースの端にある赤い色がどのピースとくっつくのか?
というのを必死で考えるのが楽しいと思うんです。
そういう意味で大人買い、などで読む漫画がつまらないのは当然だと思うんです。
決してるろうに剣心が面白くなくなったわけでは無く、
ぷにちんがそういった想像の余地を無くして、ただストーリーを辿っているだけなので
あの時の感動が無く、淡白に感じてしまうのです。
これが理由①です。
そして次に上げるのが、最も重要なことかもしれません。
理由② 熱く語り合える友の存在。
これは言うまでもない事かもしれません。
冒頭でも書いた様に、皆小さい頃は漫画について熱く語ったはずです。
ぷにちんはジョジョの奇妙な冒険。という漫画が大好きです。
正直ジョジョに関してはキチガイ、と言われる程に好きで知識もかなり深いと自他ともに認められております。
今ではゲームやメディア、そしてアニメまで作成されて一般認知度も非常に高い作品ですが
当時は
「絵が気持ち悪い・・・。」
などと言われて中々受け入れられなかったです。
当時ジョジョが好き、と言うのは少し異端・・・という空気がありました。
10年位前ですが、実際ぷにちんの出会った人の中にもジョジョが好きって言うと皆引いてしまう。
といった理由で隠していた人もいるほどです。
今ぷにちんが感じるのはその 温度差 です。
ジョジョが皆にも認知され、ジョジョ好きの人が増えてくれるのは大変嬉しいことです。
そしてよく出会うのが、ジョジョ好きの人たちです。
彼らと話すと、有名なエピソードやセリフに関してはある程度話せるのですが、
少しだけ込み入った話になると、会話が成り立たないのです。
そうしたやり取りをする内にぷにちんはジョジョの話を余りしなくなりました。
だって全然物足りないんだもん。
例えばアナタがサッカー大好きだとして、サッカー好き同士で話す機会があって
2002年のワールドカップについて話そうとしたら、相手が本田とベッカムしか知らなかったら会話にならないでしょ?
そんな気分ですよ。
神砂嵐は知ってても、マルクもエア・サプレーナ島もブルりんも分かってくれないんですもん。
しまいには各部の主人公の名前すらうろ覚えなのに、ジョジョ好きです。
とか言われた日にはホッペにフォークをブッ刺して 「この…… ド低能がァーーッ!」と怒鳴りたくもなりますよ。
すいません・・・。熱くなってしまいました。
何が言いたいかと申しますと、本当に熱く話せる友達が居ないと楽しさも半減なのです。
それは一人で食べる料理と一緒です。
もちろん料理は美味しいですし、満足ですが心が満たされないのです。
先日昔からの付き合いの友達と数人で集まる機会がございまして
一緒に食事をしたのですが、大人になっても話すことは子供の頃と変わりません。
やれ漫画がどうとかゲームがどうとか戦車の歴史とかそんな事をいい年した大人が延々語るのです。
その時も話しましたジョジョの事。
彼らは訓練されたジョジョの知識を持っている方々なので、そこら辺にいるジョジョ好きとは一線を画します。
何故ならぷにちんが出すマニアックなジョジョ問答で鍛えられているからです。
その時の話題はスタンド考察です。
今更説明するまでもないかもしれませんが
スタンドとはジョジョ第3部から出てくる各々が持っている特殊能力の様なものです。
炎を操ったり、騎士の様な姿をしていたり、時を止めたりとその能力は様々で、
能力が分からない相手と毎回、激闘を繰り広げるのです。
そんな時に議論に上がったのが
炎を操るアブドゥルのマジシャンズレッドと氷を操るペットショップ、またはホワイトアルバムはどちらが強いかです。
炎を操るといってもその火力は凄まじいもので、牢屋に使われている鉄棒を
超至近距離から投げられても、届く前に空中で溶かす程です。
そして氷を操る、というと語弊があるのですが超低温を作り上げるホワイトアルバム。
その威力は空気を瞬時に凍らせて固体にするほどです。
直接その能力を叩き込まれたならば、一瞬で凍りつき人間なら砕け散るほどです。
そして本題ですが、この二人がその能力をぶつけあったらどうなるのか?ということです。
ここで議論を始めるに当たって避けては通れないルールがございます。
そうです。熱量保存の法則です。
高温の物体Aと低温の物体Bを接触させたとき、
熱が外部に逃げなければ、Aが失う熱量と、Bが得た熱量は等しく, A,B全体としての熱量の増減はない。
AとBの温度が等しくなって、熱の移動がなくなったとき、 AとBは熱平衡にあるという。
簡単に書くとこんな感じ。
アブドゥルの火力を2000℃と仮定し、ホワイトアルバムの冷気限界は絶対零度の −273.15 ℃と考えます。
そうしたら同レベルの熱エネルギーを発するならアブドゥルの勝ちです。
しかしここで大事なのがスタンドパワーです。
アブドゥルのパワーが1に対してホワイトアルバムのパワーが10なら
アブドゥル 2000℃ ×1 = 2000 エネルギー。
ホワイトアルバム −273.15 ℃×10 =−2731.5 エネルギー。
で731.5エネルギー分ホワイトアルバムの冷気が勝つこととなります。
しかしホワイトアルバムの能力は物体に作用しているのに対して、
アブドゥルの炎は一般人に見えていない描写もあったので、(※)
アブドゥルの熱はスタンドパワーを具現化しているもので純粋な熱量で考えてよいのか?
などの疑問も残ります。
※ アブドゥルの炎の描写に関しては一般人に見えていない時と見えている時があり真偽不明です。
こういった議論をご飯を食べながらいい年した大人が延々繰り広げるのです。
正直答えはどっちでも良いのです。
だってこういった話を出来る事が重要なんですもん。
ぷにちん、ジョジョに関して久々に深く話せる機会があり、生きていることを実感しましたよ。
それはそれは夢の様なひと時でした。
かなり本筋から話が逸れてしまいました・・・。今回のブログで書きたかった事をまとめますと、
漫画の楽しみはそのストーリーを追う事では無く、
そこにあるかも知れない、またはあり得たかも知れない事象を ”空想” することだと思うのです。
漫画という作者の空想から生まれた世界を、読者が更に空想する。
それこそが漫画の本当の楽しみではないか?という真実に仕事中に到達したのです。
こんな事ばっか考えているから、ミスして怒られるんですよね。
というかこんな自分を置いてくれる寛大な会社に感謝しなければなりません。
出来る事なら空想の世界で生きて行けたならば・・・と現実から目を背けたぷにちんの心の声でした。