心を綺麗に
- 2015/11/30
- 21:03
12月。
今年の締めくくりとなる月。
締めくくったところで、その明日は何があるのか、なにもない。
いつもと同じ日常があるのだ。
しかし、年が変わると、一瞬だけ非日常が訪れる人がいるのも事実。
旧友と会い、家族と会い、仕事に追われる日々からの開放がまつのだ。
そんな、非日常へのラストスパートがこの12月である。
また、12月には大イベントとでもいえようか。
クリスマスがある。
いい子にしないとサンタさんが来ないと、教育される子ども。
クリスマスイブ、いい子にしていたと胸を貼って、サンタさんへの手紙とともに眠りにつく。
そんな夜、子どもがいつもよりもおとなしく寝てるから久しぶりの二人の時間を楽しむ夫婦。
子どもにはおもちゃ、夫婦には二人の時間。そして家族には新しい命。
私はそんなクリスマスを迎えるであろう人々を横目に、ただひとり餃子の王将にでも行くとしよう。
きっと、似たもの同士でカウンター席に肩をならべて、会話もなくしんしんと餃子を食べるのだ。
会計の時にタイミングが被って軽い列ができる。
一つ前のおじさんが「クリスマスなのに大変ですね」なんて声をかけてくるもんだから
私も「誰かが仕事をせんといけませんから。おじさんだって同じでしょう。」と仕事を盾に答える。
「ええ、まあ。私の場合、忙しいのが今日というか・・・これから仕事なもんで。おっと、お会計・・・」とそそくさと会計を済ませる。
出口のドアをあけるおじさん、外気が入りぶるるっと震える。
おじさんが何かを思い出したように振り返り、私に向かって言う。
「メリークリスマス」
きょとんと、しているうちに会計係のお姉さんに「お客様、他のお客様もお待ちですのでお会計を・・・」と声をかけられ、気まずい思いをしながら私も会計を済ませた。
私が外にでたとき、もちろんのことだがおじさんはもういなかった。
日常に、ひっそりとサンタクロースがいることに驚いてしまった。
あなたが、電車に乗るとき、横でスマホをいじっているおじさん。
彼ももしかすると、サンタクロース、かもしれない。
今年の締めくくりとなる月。
締めくくったところで、その明日は何があるのか、なにもない。
いつもと同じ日常があるのだ。
しかし、年が変わると、一瞬だけ非日常が訪れる人がいるのも事実。
旧友と会い、家族と会い、仕事に追われる日々からの開放がまつのだ。
そんな、非日常へのラストスパートがこの12月である。
また、12月には大イベントとでもいえようか。
クリスマスがある。
いい子にしないとサンタさんが来ないと、教育される子ども。
クリスマスイブ、いい子にしていたと胸を貼って、サンタさんへの手紙とともに眠りにつく。
そんな夜、子どもがいつもよりもおとなしく寝てるから久しぶりの二人の時間を楽しむ夫婦。
子どもにはおもちゃ、夫婦には二人の時間。そして家族には新しい命。
私はそんなクリスマスを迎えるであろう人々を横目に、ただひとり餃子の王将にでも行くとしよう。
きっと、似たもの同士でカウンター席に肩をならべて、会話もなくしんしんと餃子を食べるのだ。
会計の時にタイミングが被って軽い列ができる。
一つ前のおじさんが「クリスマスなのに大変ですね」なんて声をかけてくるもんだから
私も「誰かが仕事をせんといけませんから。おじさんだって同じでしょう。」と仕事を盾に答える。
「ええ、まあ。私の場合、忙しいのが今日というか・・・これから仕事なもんで。おっと、お会計・・・」とそそくさと会計を済ませる。
出口のドアをあけるおじさん、外気が入りぶるるっと震える。
おじさんが何かを思い出したように振り返り、私に向かって言う。
「メリークリスマス」
きょとんと、しているうちに会計係のお姉さんに「お客様、他のお客様もお待ちですのでお会計を・・・」と声をかけられ、気まずい思いをしながら私も会計を済ませた。
私が外にでたとき、もちろんのことだがおじさんはもういなかった。
日常に、ひっそりとサンタクロースがいることに驚いてしまった。
あなたが、電車に乗るとき、横でスマホをいじっているおじさん。
彼ももしかすると、サンタクロース、かもしれない。