教え
- 2014/10/10
- 00:41
どうも。
あじです。
チームkamabokoは特に仏教徒ではないですし、
他の宗教を贔屓にしているわけではありません。
日本に生まれたせいでしょうか、宗教を宗教として認識せず、習慣やイベントとして様々な宗教の方式を取り入れて生活しています。
そんな無宗教、いや混宗教というべきなんでしょうか。そんな生活をおかしいとおもわず、送ってきています。
お経を聴いたり、クリスマスを祝ったり、神社でお祈りしたり、
神様や仏様がいるのであれば驚きです。
例えば日本にはクリスマスにキリストの生誕を祝う人がどれだけいるのか。クリスマスも復活祭もきちんと礼拝する人はどれだけいるのか。
クリスマスは恋人と過ごすとか、パーティーをするとか、年末の楽しいイベントとして考えている人がほとんどではないのか。
でも、それでいいんです。
だって真剣に宗教を知り、学ぶ機会がないのが我々の教育だから。
宗教は歴史の勉強のおまけみたいに教えられているのだから。
その中で、自分に合う考えや教えを都合よく取り込んで、解釈して、自分の理想に近づければ最高なんです。
それがこの国の教え、混宗教ともいえるライフスタイルなんです。
その代わり、きちんとそれぞれの特徴を理解し、自分なりに柔軟に考える必要があります。
頭が固いと歴史のお勉強で終わってしまいますから。
私も頭が固いまま今まで生きてきて、ようやく色んなものに興味を持ち始めました。
私は辛いのは嫌なので苦行は避けて生きていきました。
そして、楽しいと思ったことは何でも挑戦するようにしました。
でも、やってみようと思った時は真剣に取り組みます。楽しいことをしているときは辛くないけど、真剣にそのことだけを考えて取り組むという面では修行と思っています。
これは都合のいい仏教かぶれです。
そして、クリスマスはみんな浮き足だってわいわいしているのでそれに参加して、いつもと違う気分を味わったり。
バレンタインは社交辞令の義理チョコをもらってニヤニヤしています。
これはキリスト教を利用したお遊びです。
こんな風に宗教の良いとこ取りをするのが私みたいです。
真剣に宗教に接している方からすれば私のような人間は愚かなのかもしれません。
それにいつか私も自分が信仰したいものを見つけて、ひとつの宗教に真摯に向き合うかもしれません。
でもそれはもしもの話。
おまけみたいに話をしますが、実はこれが今回の本題。
「聞思修証」という言葉を聞いたことはありますか。
聞いたこと無い方はこれから流行る可能性があるので覚えておくといいかもしれません。
仏教の言葉なんですが、私も最近まで知りませんでした。
ちょっと時間を持て余して本屋で本を物色していた時に知った言葉です。私も詳しくは知りません。
意味はというと、
「法を聞き、法の理を思い、法を修業し、真実を実証すること」
らしいです。
なんのこっちゃ。
本で見た訳としては、
「聞いたことを、ちゃんと理解して、試して見て、自分の考えが正しいことを証明しみてね」
ってことだったと思います。
それならなんとなくわかります。
あたりまえのことを言っているようで、それをするのは難しいですよね。
でも難しいからこそ修行であって、
それができる自分すげえみたいなもんみたいです。
そういう教えが沢山あるなら仏教もいいなと思いました。
ちなみに、これは完全におまけですけど、
よく大丈夫?とか大丈夫!とか簡単に言いますが、
儒教では「仁・義・礼の三つを併せ持った人間」って意味で、めちゃくちゃすげえ良い意味だそうです。
私も、「お前頭大丈夫?」って言われるんですが、
大丈夫です。(仁・義・礼の三つを併せ持った人間という意味で)
日常会話の意味では間違いなく大丈夫ではない、あじでした。
あじです。
チームkamabokoは特に仏教徒ではないですし、
他の宗教を贔屓にしているわけではありません。
日本に生まれたせいでしょうか、宗教を宗教として認識せず、習慣やイベントとして様々な宗教の方式を取り入れて生活しています。
そんな無宗教、いや混宗教というべきなんでしょうか。そんな生活をおかしいとおもわず、送ってきています。
お経を聴いたり、クリスマスを祝ったり、神社でお祈りしたり、
神様や仏様がいるのであれば驚きです。
例えば日本にはクリスマスにキリストの生誕を祝う人がどれだけいるのか。クリスマスも復活祭もきちんと礼拝する人はどれだけいるのか。
クリスマスは恋人と過ごすとか、パーティーをするとか、年末の楽しいイベントとして考えている人がほとんどではないのか。
でも、それでいいんです。
だって真剣に宗教を知り、学ぶ機会がないのが我々の教育だから。
宗教は歴史の勉強のおまけみたいに教えられているのだから。
その中で、自分に合う考えや教えを都合よく取り込んで、解釈して、自分の理想に近づければ最高なんです。
それがこの国の教え、混宗教ともいえるライフスタイルなんです。
その代わり、きちんとそれぞれの特徴を理解し、自分なりに柔軟に考える必要があります。
頭が固いと歴史のお勉強で終わってしまいますから。
私も頭が固いまま今まで生きてきて、ようやく色んなものに興味を持ち始めました。
私は辛いのは嫌なので苦行は避けて生きていきました。
そして、楽しいと思ったことは何でも挑戦するようにしました。
でも、やってみようと思った時は真剣に取り組みます。楽しいことをしているときは辛くないけど、真剣にそのことだけを考えて取り組むという面では修行と思っています。
これは都合のいい仏教かぶれです。
そして、クリスマスはみんな浮き足だってわいわいしているのでそれに参加して、いつもと違う気分を味わったり。
バレンタインは社交辞令の義理チョコをもらってニヤニヤしています。
これはキリスト教を利用したお遊びです。
こんな風に宗教の良いとこ取りをするのが私みたいです。
真剣に宗教に接している方からすれば私のような人間は愚かなのかもしれません。
それにいつか私も自分が信仰したいものを見つけて、ひとつの宗教に真摯に向き合うかもしれません。
でもそれはもしもの話。
おまけみたいに話をしますが、実はこれが今回の本題。
「聞思修証」という言葉を聞いたことはありますか。
聞いたこと無い方はこれから流行る可能性があるので覚えておくといいかもしれません。
仏教の言葉なんですが、私も最近まで知りませんでした。
ちょっと時間を持て余して本屋で本を物色していた時に知った言葉です。私も詳しくは知りません。
意味はというと、
「法を聞き、法の理を思い、法を修業し、真実を実証すること」
らしいです。
なんのこっちゃ。
本で見た訳としては、
「聞いたことを、ちゃんと理解して、試して見て、自分の考えが正しいことを証明しみてね」
ってことだったと思います。
それならなんとなくわかります。
あたりまえのことを言っているようで、それをするのは難しいですよね。
でも難しいからこそ修行であって、
それができる自分すげえみたいなもんみたいです。
そういう教えが沢山あるなら仏教もいいなと思いました。
ちなみに、これは完全におまけですけど、
よく大丈夫?とか大丈夫!とか簡単に言いますが、
儒教では「仁・義・礼の三つを併せ持った人間」って意味で、めちゃくちゃすげえ良い意味だそうです。
私も、「お前頭大丈夫?」って言われるんですが、
大丈夫です。(仁・義・礼の三つを併せ持った人間という意味で)
日常会話の意味では間違いなく大丈夫ではない、あじでした。