どうも。ぷにちんです。
昨日あじが記事で書いてましたが、本当に久しぶりの投稿です。
普通の人間ならこれほど更新をサボっていたら、その罪悪感から投稿をためらうかとも思うのですが
ぷにちんはそんなことありません。
だってサボってたの自覚してますからね。
突然ですが、ジョジョの第三部にアレッシーという敵が出てくるんですよ。
コイツはひどい奴で弱い者イジメが三度の飯より大好き。
アレッシーが初登場したとき、小さな男の子がおままごと遊びに使うバケツの泥水をアレッシーにかけちゃいました。
アレッシーのズボンはびちゃびちゃです。
見た目が怖いアレッシー。子供は怒られるのではないか?と、わなわな震えています。
そんな子供にアレッシーはしゃがんで話しかけます。
アレッシー 「ぼうや、君いくつ?」
子供は恐怖からか言葉が出ません。小さく手を開いて4歳である事を伝えます。
アレッシー 「4歳。えらいねぇー。お父さんは何しているの?」
子供 「お仕事。」
見た目とはうらはらに怒っていなさそうな様子をみて子供の顔にも安堵の様子がうかがえます。
アレッシー 「パパはお仕事行っていないの。えらいねぇー。じゃあママは?」
子供 「おうちで洗濯している。」
アレッシー 「ひとりで遊びに来てるの?」
安心しきっている子供は笑顔で頷きます。
アレッシー 「そんじゃあブン殴っていいなあっ!」
今まで無表情だったアレッシーが激怒の表情をみせます。
そして色々御託を並べて、子供をボコボコにします。
まさに社会のクズです。小さな子供に対して親が近くに居ない事を確認してからブン殴る。
弱者に強くて、強者にはヘコヘコする。
今の社会の縮図を体現したような ”悪” の権化です。
そんな彼が残した名言があります。
アレッシー 「俺は弱い者イジメをするとスカッとする性格なんだ・・・フヘヘヘヘ 自分でも変態な性格かなぁと思うんだがね・・・
でも良く言うだろ?自分で変だと思う人は変じゃあないってな・・・だから俺は変じゃないよな。」
普通の人間ならサボっていたと素直に認められず、プライドを守るためにそのままブログを閉鎖したりすると思うんですよ。
または親族が死んだとか、事故にあったとかどうせネットだし適当な嘘をついてもばれないだろう。
と、更新できなかった適当な理由をでっちあげる。
あわよくば同情してもらってサボっていた自分を正当化してしまう。
そんな人間心理と薄っぺらい人間関係で構築されているのが今の社会の悪しき風習でもあります。
しかしぷにちんは心で師と仰ぐアレッシー先生の意思を受け継いでいるのでそんな姑息なことはしません。
アレッシー理論に基づいた論理的な考え方を致しますと、
ぷにちん 「俺はサボるとスカッとする性格なんだ・・・フヘヘヘヘ 自分でもクズな性格かなぁと思うんだがね・・・
でも良く言うだろ?自分でサボってると思う人はサボってないってな・・・だから俺はサボってないよな。」
こういう結論に至るのです。
なのでぷにちんはサボっていたけど、それを自覚しているのでサボって居た訳ではないんです。
サボりを自覚しつつそれを継続するというのはそれはそれはとても罪悪感とか、罪の意識に苛まれるんです。
逆説的に言うと、サボり続けるというのは、固い決意や覚悟が必要な事でもあるんです。
もうね、皆さんが日常生活で行っている、何でやるか分からないけど、ルールだからやっている・・・。
みたいな仕事があると思うんですけど、ぷにちんから言わせればそれこそ本当の ”悪” ですからね。
何でそれをやるのか?ルーチンワークだから・・・みたいな理由も分からず惰性でやっている。
そこに作業者の意思の余地のない仕事。そんなつまらないことをする暇があるならサボって居た方がまだましです。
勿論そのサボりも ”自分は今精一杯サボって居るんだ!!” という強い意志に基づいた行動でなければなりません。
ぷにちんの数少ない友人であり、以前記事にも参加した
クマさん。
彼は絵を描くのがとても嫌いです。
苦手とか下手とかではなくて、絵に恨みがあるのではないか?といわんばかりに絵を描くことを拒みます。
そんな彼の絵嫌いのエピソードで、とても感銘を受けたものがありますので、本日はその話を紹介したいと思います。
皆さんが小学生の頃にも図工の時間に、写生の課題があったと思うんですよ。
ぷにちんももちろんありました。
そしてぷにちんもクマさんの例に漏れず、絵が下手で嫌いな人間でした。
絵が上手に描ける人って意味がわからないですからね。
ぷにちんは数回の授業に渡り、作成を課せられた作品などは
描いている途中の絵を自分で破り捨てて、次の授業の際に
ぷにちん 「俺の最高傑作が破かれている。あれを超える絵はもう書けない・・・。」
と課題の提出を拒むという最低の作戦を実行していました。
はい。もちろん美術の通信簿の評価はもちろん ”2” くらいでした。
ただ精一杯書いたとしてもどうせ ”2” だと思うので結果オーライです。
ちなみにこの頃からぷにちんはアレッシー先生の意思を受け継いでいたので
自分がクズだと自覚しています。ということは結果クズではないのでセーフです。
そしてクマさんですが、彼はぷにちんの様なクズな人間ではございません。
人一倍責任感が強く、それに比例して正義感も強い人間です。
なぜクマさんの様な人間がぷにちんと友達なのかは甚だ疑問ですが、光が闇を求めるようなもんでしょう。
彼も小学生の時に絵の課題が宿題として出ました。
課題内容は 「怖かった夢。」
絵が嫌いなクマさんは苦悩します。
クマさん 「あぁ~!絵なんて描きたくない。けど課題を出さないなんてありえない・・・。」
彼は苦悩を続けます。
人間長い年月を生きていれば、何度か本当の苦悩と直面するかとも思うのですが
きっとクマさんにとって人生における大きな苦悩のうちの一つがこの課題であった事は間違いないでしょう。
苦悩に苦悩を重ねた末、彼は一枚の絵を描き上げ、提出しました。
その絵のタイトルは
「暗闇で黒豆を食べる、黒牛(くろウシ)。」
真っ白だった画用紙は、全面漆黒に塗られ、真ん中辺りには小さな赤い点が一つ・・・。
暗闇でギラギラと光る、黒牛の眼なんでしょうね。
もうね、小学生の感性で辿り着く境地を超えています。
この作品はピカソ辺りが死の数日前に描く名画だと思うんですよ。
このタイトルの情景を想像したら、確かに今まで見た事がある悪夢の中でトップクラスに怖いですからね。
黒牛ってあんな甘く煮付けた黒豆を食べるんだ・・・。とか
なんで暗闇で黒豆を食べているんだ・・・・。とか
漆黒の暗闇でも光を放つその瞳は俺を見つめているのだろうか・・・。
などなど考えだしたら恐怖以外の何物でもありません。
このクマさんの思考もサボりとは対極にある、覚悟や固い決意の先にある辿り着いた境地なのです。
人間だれしも大人になると、仕事や家庭における役割・・・すなわち義務が生じます。
そしてそこには ”個人”の主観や主義が入り込む余地が無い時もあります。
だからこそもう一度皆さんには今一度、考えてほしいのです。
ブログを上げないという事は悪いことなのか!!
ブログの執筆・・・それは自由意志であり、個人の主観や主義のみを公開すべき場所である。
そしてそんな場所だけは日常生活のオアシスであり続け、
読者、そして執筆者であるぷにちんのオアシスであるべきではないのか?
そこに義務が生じては、クリエイティブな思想や意見は埋没し、仕事のルーチンワークの様な
作成された成果物は誰の心にも響かない、ありふれた情報の一部と成り果てる・・・。
そんなことを良しとせず、ぷにちんはサボっていたのです。
この度記事にした内容を、ブログを投稿しない!という無言の行動にて皆さんに自覚して頂きたかったのです!!
きっとここまで読んだ聡明な読者の方はきっと今頃
30代男性 「私も普段の仕事のあり方に疑問を感じていました。だけどその答えが今日分かりました!!!!」
70代男性 「さすがぷにちんさん。人生のあり方を今一度考えさせられました。」
20代女性 「抱いて」
30代女性 「何でもしてあげる・・・ウフフ。」
まぁこんな状態になりますわな。
という訳で、これからも硬い決意でサボっていくつもりなので皆さん、ヨロシク!!
ただサボっていただけでもこれだけ社会にセンセーショナルな影響を与えてしまうのか、と改めて自覚するぷにちんでした。