さながら祭りのあと
- 2015/10/31
- 00:29
11月。
月の節目も季節の節目も、あまり感じることのなく、
光陰矢のごとし、月日は確実に過ぎていく。
あわせて、私達の寿命を削っていくばかりか、風習や文化も削れ、変わりゆくものなのである。
今年のうちに、と言っているそばから、きっと年の境界を超え、今年はきっとと弱々しい意思が語りかけてくるのであろう。
来年できるなら、きっと今からでもできるはずであり、来年もできないからこそ今もきっとできないのである。
人は何かを決意するときは節目として、暦を用いるのではなく、自らの意思により節目を線引くのだろう。
線を引ける人間と、引けない人間の差によって、上下優劣が決まっているのかもしれない。
さて、そんな時の流れと人間の意思を比較したところで、まして上から目線で誰ともなく語りかけたからといって、
己自身の線引が完了するはずもなく、私も線を引かず時の流れにゆらゆらと揺れている一人なのであろう。
今回のカレンダーはそんな私がこの10月と11月の節目に何らかの違和感を覚えており、
その原因を探っていたところ、答えを街中に見つけたことに由来する。
私の違和感の原因、それは、そう、ハロウィンだ。
西洋の文化を取り入れ、
様々文化の移り変わりをしてきた日本。
ここ数年のハロウィンにおける、日本の意識の変化も大きいのであろう。
街中、オレンジ色のかぼちゃやかわいらしいゴーストで溢れている。
色とりどりの衣装に身を包み、仮装する人も年々増えていると実感する。
久々のwikipediaからの転載だ。よくよんでほしい。
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ハロウィン、あるいは、ハロウィーン(英: Halloween または Hallowe'en)とは、毎年10月31日に行われる、古代ケルト人が起源と考えられている祭りのこと。もともとは誕生日の山根を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事であったが、現代では特にアメリカ合衆国で民間行事として定着し、祝祭本来の宗教的な意味合いはほとんどなくなっている。カボチャの中身をくりぬいて「ジャック・オー・ランタン」を作って飾ったり、子どもたちが魔女やお化けに仮装して近くの家々を訪れてお菓子をもらったりする風習などがある
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日本は、どうだろう。
悪霊を追い出すどころか、お菓子をもらうこともない。
ただ、若い男女がコスプレして、街を歩き、酒を飲み、騒いでいるだけじゃないか。
ハロウィンという建前を得た、合コンパーティーではないのか。
仮装して、素顔も名前も知らない者達と一夜の宴を楽しんでいる。
日本の秋はもっと美しく、静かで、優美なものだったはずだ。
今となっては低い品性を厚い化粧で彩ったものに変わってしまった。
そして11月には何もなかったように、いつもの格好でさむーいというのだろう。
そんな虚と現の境界線が今なのである。
鏡に映る自分は仮装した自分か、本当の自分か。
仮装しているのは見た目なのか、心なのか。
素直に笑っているのか、作り笑いなのか。
ほんとうの自分をまだ覚えているのだろうか。
今からでも思い出してほしい、本当の自分。
そんな11月。
月の節目も季節の節目も、あまり感じることのなく、
光陰矢のごとし、月日は確実に過ぎていく。
あわせて、私達の寿命を削っていくばかりか、風習や文化も削れ、変わりゆくものなのである。
今年のうちに、と言っているそばから、きっと年の境界を超え、今年はきっとと弱々しい意思が語りかけてくるのであろう。
来年できるなら、きっと今からでもできるはずであり、来年もできないからこそ今もきっとできないのである。
人は何かを決意するときは節目として、暦を用いるのではなく、自らの意思により節目を線引くのだろう。
線を引ける人間と、引けない人間の差によって、上下優劣が決まっているのかもしれない。
さて、そんな時の流れと人間の意思を比較したところで、まして上から目線で誰ともなく語りかけたからといって、
己自身の線引が完了するはずもなく、私も線を引かず時の流れにゆらゆらと揺れている一人なのであろう。
今回のカレンダーはそんな私がこの10月と11月の節目に何らかの違和感を覚えており、
その原因を探っていたところ、答えを街中に見つけたことに由来する。
私の違和感の原因、それは、そう、ハロウィンだ。
西洋の文化を取り入れ、
様々文化の移り変わりをしてきた日本。
ここ数年のハロウィンにおける、日本の意識の変化も大きいのであろう。
街中、オレンジ色のかぼちゃやかわいらしいゴーストで溢れている。
色とりどりの衣装に身を包み、仮装する人も年々増えていると実感する。
久々のwikipediaからの転載だ。よくよんでほしい。
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ハロウィン、あるいは、ハロウィーン(英: Halloween または Hallowe'en)とは、毎年10月31日に行われる、古代ケルト人が起源と考えられている祭りのこと。もともとは誕生日の山根を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事であったが、現代では特にアメリカ合衆国で民間行事として定着し、祝祭本来の宗教的な意味合いはほとんどなくなっている。カボチャの中身をくりぬいて「ジャック・オー・ランタン」を作って飾ったり、子どもたちが魔女やお化けに仮装して近くの家々を訪れてお菓子をもらったりする風習などがある
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日本は、どうだろう。
悪霊を追い出すどころか、お菓子をもらうこともない。
ただ、若い男女がコスプレして、街を歩き、酒を飲み、騒いでいるだけじゃないか。
ハロウィンという建前を得た、合コンパーティーではないのか。
仮装して、素顔も名前も知らない者達と一夜の宴を楽しんでいる。
日本の秋はもっと美しく、静かで、優美なものだったはずだ。
今となっては低い品性を厚い化粧で彩ったものに変わってしまった。
そして11月には何もなかったように、いつもの格好でさむーいというのだろう。
そんな虚と現の境界線が今なのである。
鏡に映る自分は仮装した自分か、本当の自分か。
仮装しているのは見た目なのか、心なのか。
素直に笑っているのか、作り笑いなのか。
ほんとうの自分をまだ覚えているのだろうか。
今からでも思い出してほしい、本当の自分。
そんな11月。