This name is Mame
- 2016/02/01
- 22:51
2月。
ひとびとは、もう1ヶ月たったよお、等と2月の訪れを感じる
季節はだんだんと冷たさを増し、本格的な冬の到来となる。
人間の寿命をおおよそ80年とした場合、80回しか2月がないことになる。
多いのか、短いのか、なんともいえないところだ。
さて、今回は鬼の話。
鶴は千年、亀は万年というが、これだけ生きるのならひと月という単位は大したことではないのだろう。
だが、永遠に生きる鬼はどんな気持ちでひと月を過ごすのだろうか。
千年万年といえども有限。終わりは来るのだ。
永遠の中でひと月がどのような意味を持つのかは、永遠に生きる魑魅魍魎の類のみぞ知る。
鬼。
よく聞く言葉だが、地域や伝聞により様々な存在となりうる。
それは神であったり、厄物であったり、虐げられるものであったり、捕食者であったり、
どの物語でも共通していえることは”おそれられている”ということだろう
恐
怖
畏
兇
どの文字も鬼を表すにふさわしい文字である。
永遠に生きる鬼にとって、人間と戯れるのもちょうどいい暇つぶしになるのだろう。
毎年、2月になると人間との戯れとして節分-豆まき-なる儀式が行われる。
「鬼は外、福は内」
「鬼は外、福は内」
「鬼は外、福は内」
豆をぶつけられたところで、鬼にとってはどうということもなく、
人間も豆以外の物理攻撃により鬼の逆鱗に触れることを恐れ、
定例通りに豆のみをぶつけるのである。
この場において人間に花を持たせるのも鬼の威厳を示すことになるだろう。
節分以外に人間が鬼を攻撃(この場合、人間にとっては攻撃でも鬼にとっては攻撃ともとれぬ一撃)しようものなら、
握り、捻り、潰され、喰われ、そこには虚しき残骸のみが残るのであった。
そんな鬼の話。
2016年2月。
鬼の伝承が発祥した年からみれば、遠い遠い未来の話。
僕達から見れば、つまらない今の話。
古き伝承は絵本で伝えられる子ども騙しとしてのみ効果を成し、
鬼の威厳、恐怖は忘れられてしまった時代。
”鬼”の正しい伝承、威厳、文化を守り広めることを目的として発足した
Oni Corporation.
企業概要:建設事業(資本金なし)
全国のパワースポットというパワースポットに鬼の祠と建設したことで
地域住民の反発を生み地方自治体と揉める。
「鬼は外、福は内」
愚かな人間は豆を投げれば、鬼は逃げると思っていたのだ。
しかし、それは無駄なこと。
怒る鬼は人間達を別の何かに変えてしまう。
うさぎ、パプリカ、ナス、犬等・・・。
元人間達は己の愚かさを嘆き、鬼を再び恐れた。
鬼に許しを請うも無駄なこと。
鬼を沈めることはできない。
ならば鬼と戦わねばならぬ。
不死の鬼と戦わねば。
不死の者に対する戦いは各ファンタジーで”封印”と相場が決まっている。
鬼の封印に必要なものは、関西に伝わる筒状の武器。
恵方巻である。
食べ物ではなく、筒状の武器。恵方巻。
ただし、恵方巻だけでは鬼の封印は完全ではない。
節分の夜に豆を撒くことの意味。
鬼にとっては戯れであった文化だったが、人間にとっては大きな意味があったのだ。
節分の夜、豆を撒くことでその地域における鬼の耐性-結界のようなもの-が一時的に無力化されるのである。
その時に、恵方巻でその年に定められた方角から攻撃を加えることで、鬼を具として封印することができる。
そんな呪われた元人間たちと鬼達の戦いを描いた物語が、
”This name is Mame”
今年最初にして最高の物語だ。
ひとびとは、もう1ヶ月たったよお、等と2月の訪れを感じる
季節はだんだんと冷たさを増し、本格的な冬の到来となる。
人間の寿命をおおよそ80年とした場合、80回しか2月がないことになる。
多いのか、短いのか、なんともいえないところだ。
さて、今回は鬼の話。
鶴は千年、亀は万年というが、これだけ生きるのならひと月という単位は大したことではないのだろう。
だが、永遠に生きる鬼はどんな気持ちでひと月を過ごすのだろうか。
千年万年といえども有限。終わりは来るのだ。
永遠の中でひと月がどのような意味を持つのかは、永遠に生きる魑魅魍魎の類のみぞ知る。
鬼。
よく聞く言葉だが、地域や伝聞により様々な存在となりうる。
それは神であったり、厄物であったり、虐げられるものであったり、捕食者であったり、
どの物語でも共通していえることは”おそれられている”ということだろう
恐
怖
畏
兇
どの文字も鬼を表すにふさわしい文字である。
永遠に生きる鬼にとって、人間と戯れるのもちょうどいい暇つぶしになるのだろう。
毎年、2月になると人間との戯れとして節分-豆まき-なる儀式が行われる。
「鬼は外、福は内」
「鬼は外、福は内」
「鬼は外、福は内」
豆をぶつけられたところで、鬼にとってはどうということもなく、
人間も豆以外の物理攻撃により鬼の逆鱗に触れることを恐れ、
定例通りに豆のみをぶつけるのである。
この場において人間に花を持たせるのも鬼の威厳を示すことになるだろう。
節分以外に人間が鬼を攻撃(この場合、人間にとっては攻撃でも鬼にとっては攻撃ともとれぬ一撃)しようものなら、
握り、捻り、潰され、喰われ、そこには虚しき残骸のみが残るのであった。
そんな鬼の話。
2016年2月。
鬼の伝承が発祥した年からみれば、遠い遠い未来の話。
僕達から見れば、つまらない今の話。
古き伝承は絵本で伝えられる子ども騙しとしてのみ効果を成し、
鬼の威厳、恐怖は忘れられてしまった時代。
”鬼”の正しい伝承、威厳、文化を守り広めることを目的として発足した
Oni Corporation.
企業概要:建設事業(資本金なし)
全国のパワースポットというパワースポットに鬼の祠と建設したことで
地域住民の反発を生み地方自治体と揉める。
「鬼は外、福は内」
愚かな人間は豆を投げれば、鬼は逃げると思っていたのだ。
しかし、それは無駄なこと。
怒る鬼は人間達を別の何かに変えてしまう。
うさぎ、パプリカ、ナス、犬等・・・。
元人間達は己の愚かさを嘆き、鬼を再び恐れた。
鬼に許しを請うも無駄なこと。
鬼を沈めることはできない。
ならば鬼と戦わねばならぬ。
不死の鬼と戦わねば。
不死の者に対する戦いは各ファンタジーで”封印”と相場が決まっている。
鬼の封印に必要なものは、関西に伝わる筒状の武器。
恵方巻である。
食べ物ではなく、筒状の武器。恵方巻。
ただし、恵方巻だけでは鬼の封印は完全ではない。
節分の夜に豆を撒くことの意味。
鬼にとっては戯れであった文化だったが、人間にとっては大きな意味があったのだ。
節分の夜、豆を撒くことでその地域における鬼の耐性-結界のようなもの-が一時的に無力化されるのである。
その時に、恵方巻でその年に定められた方角から攻撃を加えることで、鬼を具として封印することができる。
そんな呪われた元人間たちと鬼達の戦いを描いた物語が、
”This name is Mame”
今年最初にして最高の物語だ。